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僕はこんなことを考えている はてな出張版

運営しているエッセイサイトのはてな出張版です。軽い読み物なのでお茶請け程度にいかがでしょうか?

映画評:サンキュー・スモーキング

映画評 じっくり観よう♣社会派映画

正しいということだけでは、悪いものを排除できないことがある

movie.walkerplus.com

最近の映画では、タバコを吸うシーンが減ってきているそうだ。
理由はご存知、嫌煙ブームによるものである。

昨今の嫌煙の流れは、かつての魔女狩りさながら、悪者探しに窮しているかのようで、
タバコ=害悪のような風潮が蔓延している。
その勢いはもはや大麻マリファナと肩を並べる勢いである。
嫌煙活動の急先鋒は、これもご承知の通りアメリカである。
アメリカでは毎年様々な場所で、タバコ会社を相手に訴訟が起こされ、時にタバコ会社が派手に負けている。
訴訟内容のほとんどは、長年の喫煙による健康被害である。
僕なんかは自分が勝手に吸っといて、と思ったりするのだが、タバコには常習性も確認されており、それを理由に裁判を仕掛けているらしい。
要は、中毒になって体も悪くなるものをどうして販売するんだ、と言う論調である。

こういった嫌煙運動の論調を見ていくと、どうしても感じるのは、宗教が背景にあるような気がしてしまう。
推測だが、アメリカ人の、特に聖書に重きを置くバプテストの人々なんかが、タバコを体内に入る悪魔として捉え、その常習性からタバコは堕落の象徴として排斥運動をしているのではないだろうか?とゲスの勘ぐりをしてしまったりもする。
そこに政治が絡むため、タバコを擁護するロビイストを悪として、自分たちは清教徒革命さながらの戦いでもしている気になっているのではないのか、などと思うのは少し行きすぎだろうか?
それくらい、タバコを吸う人への差別が激しいように思うのである。

一方でタバコに関わる団体や、タバコ農家や大手メーカーなどの作り手もタチが悪い。
アメリカのタバコ会社のタチの悪さは、ラッセル・クロウ主演の映画「インサイダー」でも観ることができる。
タバコ会社は長年、タバコによる健康被害の状況を隠し、寧ろ良い情報を流し、国民または国を欺いてきた。
映画を観ると嫌煙の盛り上がりは、なるべくしてなったと言えなくもなく、だったらタバコなんぞは売らなければいいのにと思ったりするのだが、政治的にはやはりタバコの税収が大事のようで、タバコに関連する全てを潰そうという考えは、どうやらないらしい。
根拠は1998年にアメリカの46の州政府が、タバコ業界5社を相手に、医療保険への補助金として支出したお金の中の喫煙による治療に使った分を、タバコ業界に支払うよう求めた裁判を起こし、和解金25兆円の判決が出ている。
この訴訟は、判例的にタバコの賠償問題が取り沙汰された後なので、言わば国が勝ち戦にのぞんだ訳だが、これによりタバコ業界は、数十年の分割支払いで和解金を払うことになり、結果タバコの値上げにつながり、より顧客離れは進んでいく。
販売個数が減るんなら税収が減るじゃんと思うのかもしれないが、政府が巨額の医療費の肩代わりをさせると言うことは、つまりはタバコを作り続け、和解金を支払ってくださいね、とタバコ会社の存続を担保した形を作ったとも言え、
結果2012年の現在もタバコはなくなることなく売られ続けている。

では、タバコは本当に害なのか。
昔、長寿の泉重千代さんがインタビューで長生きの秘訣を聞かれ「タバコ」と答えたとの話を聞くが(真偽不明)、実際の所タバコは本当に体に害なのか。
一般的にタバコを吸うと死亡リスクが高まると言う。
また肺がんや脳卒中などの、生死を問う病気にもなりやすいのも理解できる。
女性は出産にも影響すると言われれば、確かにそうかも、と思う。
たぶんタバコは相当に体に悪いのだと思う。それを否定する気は毛頭ない。
タバコについての細かなことは、もっと調べて多分別のエッセイに書くので、ここでは割愛するが、はっきりしておきたいのは、死亡リスクが上がるだの、罹病率が高くなるだのは、実はどうでも良いことで、例えば浮気をする人は勝手に奥さんと別れればいいと思うし、体中ピアスをあけて、破傷風的なもので死んでしまうのも、ああ気の毒にとは思うが、別にどうとも思わない。
本人が良かれと考えてやっていることなので、それこそ知るかである。
僕が思うタバコの害悪はただ一点で、タバコを吸う奴がいると、その空間が臭くなるとか、飯がまずくなるとかの、吸わない僕のような人が不快に思うところでの喫煙はとても迷惑なので、吸ってもいいけど不快感がないような方法を考えてさえくれれば、副流煙などの他人に健康被害をもたらすという問題も含めどうでも良い。
寧ろ、タバコが政治の道具として利用されていることで、他にも銃だの酒だの車だの、タバコのように間接的ではなく、直接的に人を死に至らしめるたり、中毒性がはっきり認められているにもかかわらず、タバコ自体を糾弾していくのは、何だか間違いのような気がしてしまい、判官びいきの関西人の僕としては擁護したい気持ちになる。
そもそもタバコはストレスを減らし、会社ではコミュニケーションの手段ともなり、なによりタバコ時間の間は仕事をさぼれる。
一利もなく百害しかないものではないと思うし、タバコを吸う人は別に悪魔に魅入られているとも思わない。

映画「サンキュー・スモーキング」は簡単に言ってしまうと、今回の僕のエッセイのように嫌煙運動を否定し、タバコの販売促進運動を、口八丁で繰り広げる、タバコのPRマンの映画である。
男は口先だけで、嫌煙ブームを好煙ブームに変えようとする。
物語の男は軽薄かもしれない。
タバコの問題は言い換えれば、タバコを吸う人と吸わない人の違いによる価値観の違いから端をなし、諍いの種が芽を出そうとしている。
タバコ会社がやるべきことは、共存に向けて人に迷惑にならないが吸うと十分に上手いタバコを開発すべきで、政治家を買収してロビイストを増やすことではないだろう。
悪の正体も突き詰めれば、より大きな悪にぶつかることがある。
たががタバコだが、色々な思惑があって今の現状があり、その裏には多くの利権と嘘が紛れている。
その背景が悪であり、実はタバコ自体はそこまで嫌わなくてもいいのではないかとさえ思う。
タバコの問題を見ていくと、社会の中には良い悪いでは決められないものが確かにあって、正しいということだけでは、本当の悪いものを排除できないことがあることを思い知らされる。

どうせ外に出れば紫外線だの、排気ガスだの体に悪いものは山ほどある。
タバコが害悪であると叫ぶよりかは、タバコとの共存を考える寛容さがほしい。

僕はこんなことを考えている