僕はこんなことを考えている はてな出張版

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映画評:マイレフトフット

どんな生きる道にもおかしさや、悲しさや、苦しみや、幸せはある

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僕は生まれてから22才まで大阪にいたせいか、他の都道府県の方よりは、変な人に慣れている。
例えば街を歩いていて突然奇声を上げる人や、昼間から酒を飲んで与太りながら何かブツブツ言っているおっさんとか、まあ、普通では警察でも呼ばれそうな御仁に、何だか慣れている。
家族で大型店何かに買い物に出かけても、極稀にそういう類の人がいたりしても、何をやってくれるんだろうとワクワクして、つい立ち止まって観てしまう。
悪い癖だなあとは思うのだが、突然ナイフを振り回すわけでもなければ、見ている分には何かと楽しかったりする。
そんな性格が災いして、大阪に居を構えていた頃は、良く絡まれた。
夜中にうろちょろ遊び回っていたこともあるのだが、酔っぱらいや、その筋の人に絡まれることがよくあった。
冗談のような話だが、雑踏の中の駅前でじっとこちらを観ている御仁がいたので、ちらりと一瞥すると、早足で近づいてくるかと思うと、「お前何見とんねん」である。
うわあ、やだなあとは思うのだが、若さ故のなんとかでこちらも「やんのかこら」になると、まあ収集が付かない。
大抵は「お前事務所来い」的な感じになって、事務所って何やねんと思いながらも、「なんで行かなあかんねん」の水掛け論で終わるのだが、本当にシンドかった。
それから何回か他県に引っ越したが、大阪以外で理不尽に絡まれた経験は、ただの一度としてない。

まあ、こんなことを書くと、「大阪って怖い街ね」と思われるが、自分が悪いことも自覚はしている。
たぶんそういった方々は、何らかのストレスを持っていて、そのストレスを人にぶつけようとしているわけで、そこに丁度喧嘩も弱そうで、何となくトロそうな奴がこちらをニヤニヤ見ているわけなので、まあ標的にされてもしょうがない。
自分と異なるものに対し、好奇の目で接すれば、噛み付かれるのは当然のことである。
彼らは自分が社会からの異端児であることを理解しているわけで、嫌うのはそれを人に指摘される事である。

しかし、彼らは異端とはいえ、それは彼ら自身の精神の中にあって、異端かどうかは見た目ではわからない。
だから、普通に装うことは出来るし、実際ある局面では普通に装っているはずである。
しかし、社会からの色々な軋轢や、もっといえば精神的に重圧になるような出来事があって、
そのような異端的な精神にしか成り得ない事情があったとすると、気の毒な面もないわけではない。
しかし、それを好奇の目で見る時、見る側の人間は確実に相手を異端視し、時に侮蔑の念も持ち得ている。
無関心に装いながらも、多くの人々が、その異端者に対し、異端者らしい感情で接し、あるものは厄介物を見るように扱い、あるものはかかわり合いを避けて離れ、あるものは嘲笑う。
社会の中にあるこのような感情を、僕はどこかしら可笑しいと思うことがある。
それは僕がどちらにも成りうる人間だからのような気がしてならない。

「マイ・レフトフット」という映画がある。
映画の題材として難しい障がい者を描いた物語で、ともすれば奇異な作品に取られがちな作品を、 人間のあるがままの物語として綴り、世間的にも大きな賞を獲得した秀作である。
この映画はたぶん退屈な映画である。
僕の評価もまあ無理して観ることは無い映画と言う感じで、学生当時に観たときも、結構努力を要した映画だった。
しかし、僕はこのエッセイを書くにあたって、面白いと思った映画を書くのではなく、
「自分が何を考えたか」を主題にすることにした。
この映画は映画の内容云々ではなく、映画を観て随分と自分の考え方が変わった面があったため、映画の面白さはさて置いて、本エッセイの中に書く事にした。
こんなことを書くと自身の人格が疑われるのかもしれないが、「体が不自由な人にも性欲がある」と言う当たり前の事に気づかされ、自分が密かに持っていた自分と異なるものに対し、異端的な意識があることと、異端なものに対し、偏見と言ってもよいイメージを拵えていたことを思い知らされた。
極端な物言いをすれば、体が不自由な人は恋をしないし、セックスもしないと、何となくだが思っていた節があることに気づいた。
本当に馬鹿げているのだが、何故だかそう思っていた自分に驚いてしまって、以来僕はこの映画をどこか心の中に思っている。

たぶん今の僕がこの映画を見ても何も感じ入ることはないのかもしれない。
しかし、人生の中に、この時期に見ておけば良かった、と思う映画や物語なんかはある。
そのタイミングが合えば、何故か心に残る物語というものが確かにあり、それが少しずつ自分の生き方を変えて聞くことはある。
もしも映画に娯楽のみしか求めない人も、どうかどうか、いろんな物語を観てください。
そうすることで、違うものの見方が生まれることが、ひょっとしたらあるかもしれない。

僕は異端な人を観ておかしく感じる。
それは単純にその奇異さや奇抜さに対しおかしさを感じるのであって、侮蔑や嘲りではない(と思っている)。
同時に僕は道行く人々の偽善や、道化じみた言葉や、諍いやその他何やかやにおかしさを感じる。
どんな生きる道にもおかしさや、悲しさや、苦しみや、幸せはある。
本当に当たり前の話で、取るに足りないが、それに気づくのに何年もかかってしまった自分の浅ぱくさに笑うしかない。

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