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僕はこんなことを考えている はてな出張版

運営しているエッセイサイトのはてな出張版です。軽い読み物なのでお茶請け程度にいかがでしょうか?

映画評:リップヴァンウィンクルの花嫁

映画評 じっくり観よう♣社会派映画

movie.walkerplus.com

副題:世界に愛は期待できないが、愛を与えることはできるのである

 

こんなエッセイを書いているからわかると思うが、僕は映画を観るのが好きである。

好きだというからには、映画はもれなく観ようと思っているので、新旧ジャンル問わず観るようにしている。
それこそ古くはチャップリンの時代から、最近のアニメまでと、範囲も時代もなるべく壁を作らないようにしている。
観ないのはホラーくらいで、理由は単純に血を観たくないのと、怖いのが嫌だからである。
そんな僕がこれから恋愛映画を語ろうと思うわけである。
前ふりをした理由は、今からこっぱずかしいことを書くからである。
おっさんの恋愛映画論に興味が無い人は読まないでください。

恋愛映画の変遷をざっくりと書くと、
映画全盛の昭和期にはロマンティックなものが多くあった。
代表格としては「カサブランカ」や「ローマの休日」などだろうか。
どこか浮世離れした恋愛ものが作られ、市井の人々がまるで童話のお姫様のような気持ちで観ていたことが想像される。
カット割りやアングルも見つめあったり、見つめあった目が潤んでいたり、見つめたあった目が潤んで唇が微かに震えてみたりと、
女優は今や噴飯物の演技を男優に向け、シーンはややガウスがかかったりした。
女優は常に美しく、たぶん排泄行為もしない。
映画がまだ高根の花だった時代である。

昭和の後半くらいになると、カラー映画になり純愛ものが多く作られる。
「ある愛の詩」や「追憶」などが有名どころだろうか。
「あなた好き好き」がもう少しリアリティーを増し、清楚な顔立ちの男優は愛情深い笑顔を、まあまあの女優に向ける。
女優も心底幸せそうな笑顔を返し、木枯らしの中肩を寄せ合ったりし始める。
愛が内面から溢れ出していて、それでいて純粋だった時代である。
どちらかというと、実社会に近づいた内容で、しかし現実にはそうはないシチュエーションが多くあった。

そして平成に近づくにつれて、もう少し男女間のどろどろした恋愛が描かれるようになる。
これまでひた隠しにしてきた性の部分についても、主題と思うくらいしっかりと描かれるようになり、
恋愛映画はよりリアリズムを追求するようになる。
映画でも何かきっかけで激しく体を求めあい、女優はたぶん実生活でもしないだろうアヘ顔をさらし始める。
激しさや偏執的なところがあればあるほど映画はインパクトを持ち始める。
愛が激しすぎて、観ているほうも恥ずかしくなってしまうのだが、ここまでくると愛がむき出しである。

そして現代では、そういった変遷を経て、愛の形について問うという映画が作られるようになってきている。
要は、こんな愛もあるよね、的なものである。
例えばタイタニックでは昔ながらの若者の衝動的な愛が描かれ、「きみに読む物語」では、夫婦間の一途な愛情を描く。
こういった古い映画に見られる、愛の美しさを前面に出しているものもあれば、
性愛・情愛を通して人間模様を描く映画なども見られるようになってきた。
愛というものを通じて描き出されるのは複雑な感情で、人間の業の部分を描き始めている。

今回の映画は「リップヴァンウィンクルの花嫁」という奇才岩井俊二メガホンの映画である。
恋愛映画というジャンルなのかはやや疑問も残るが、黒木華さん演じる女性を中心に物語は進められている。
この映画の面白いのは、主人公の女性は愛というものを自分の中で持たない。
まるで意志が無いかのように、人々の間を彷徨っている。
愛を持たないが彼女は結婚をし、しかし家も結婚生活も失い、やがて仕事も失う。
とにかく全てに覇気が無く、意志が無い。
同時に映画は社会のひずみを描き出す。
いじめやマザコン、ネット社会に重婚や風俗。
意志のない彼女の横にひずんだ社会が横たわり、彼女はやがて行き場を無くし、流れるままに同じく天使のような明るさを持つ、
しかし現実は心が疲弊した女性と知り合う。
疲弊した女性の心は死に向かっていて、その死への恐怖を和らげるものを彼女は求めた。
意志の無い女性は、疲弊した女性に、慈愛の感情を抱き、彼女を優しく包み込む。
社会に何かを求めた女性と、社会に何も求めない女性が、お互い惹かれあい、やがて純粋な死を迎える。

こうやって物語を追いながらも、この物語は恋愛映画だと思うのだが、しかしそこに相手を愛すると言う気持ちがあまり描かれていない。
そこに「あなたが好き好き」が恋愛の形ではない、という思いと、同時に愛の形自体が変わってきている印象を受ける。
愛も社会の中の一部として存在しているだけで、ただ子孫を増やすためのメカニズムだったり、
自身の生活を豊かにするためだけのものだったりするのかもしれない。
しかし、僕がこの映画を恋愛映画足らしめている理由として、主人公の女性は、最後まで生きているところにあると思っている。
恋愛映画のどこかに、相手を思う気持ちが存在しなければ、それは恋愛映画とは思えない。
愛とは決して後悔しないこと」みたいな言葉があるようだが、これはただのエゴイズムであり、
僕自身は「愛とは相手を慮ること」だと思っている。
映画の中の無機質な愛は、彼女が生きていることで、相手を慮る気持ちが描かれる。
そこにさわやかさが見え、社会のひずみの中でも花が咲くことを思わせる。

世界に愛は期待できないが、愛を与えることはできるのである。

 

ああ、愛がほしい。という人もエッセイはいかがですか?

zatta.sub.jp